『一日一笑』

  • 楽せぬ楽が楽々

    楽せぬ楽が楽々

     楽すれば楽が邪魔して楽ならず。楽せぬ楽がはるか楽々。

     熊本の美里町にある日本一の石段(3333段もの階段)。その途中にこの言葉が書いてある。

     これはあらゆることに通じる原理原則だと思う。

     例えば体は、毎日食べている食事でできている。楽して冷凍食品やカップ麺を毎日食べていれば、その楽が邪魔して楽にならない(病気)。楽せぬ楽(食べていいものを食べる。)がはるか楽々(健康な体。)である。

     運動もそうだ。人間には筋肉が必要である。筋肉が衰えれば自分で歩けなくなる。歩けなくなれば1人では行けるところも限られる。健全な刺激が無くなれば、脳が衰えていく。認知症は積み重ねてきた選択の結果だと書籍で読んだ。最後は、人は生きる意味を無くしてしまう。早く死にたいというのである。

     勉強や読書も同じである。誰でも勉強より、娯楽や好きなことを選択する。勉強は脳を動かすことである。知識は良い生き方を教えてくれる。目の前の快楽は実は地獄の入り口である。

     人間関係でもそう言える。宮村家は毎年必ず親族で集まって誕生日会を開く。その日は仕事も試験も予定も何も入れてはいけない。そして食べたい料理をリクエストして、必ず手作りで作る。手作りなので失敗することもある。レストランに行った方が美味しいものが食べられるかもしれない。しかし、失敗も思い出である。

     今年の私のリクエストは「酵素玄米、味噌汁、野菜、肉、魚、漬物」にした。ケーキも手作りのチーズケーキにした。添加物を入れないで、食べていいものを作ってほしいとお願いした。子供たちに食べていいものを教えたかったからである。(子供たちには大ブーイングだったが私は大満足だった。そして後日便が明らかに変わった。)

     楽せぬ楽がはるか楽々だと思う。人間は易きに流れる。しかし、そっちは本当は楽ではない。(宮村和)

  • 家族の物語

    家族の物語

     私には兄がいる。でも、会ったことはない。私が生まれる前に亡くなったから。7歳だった。彼が亡くなった後に、私が生まれた。だから、私は戸籍上「二男」である。

     歳を取って時々思うのは、兄が亡くなっていなければ、私はきっと生まれていなかっただろうな、ということ。なぜそんなことを考えるのか、特別理由はないけれど、なんとなくそんな気がする。だからといって、兄の分も精一杯生きよう、なんて気負いは全くない。でも、運命としてそれを受け入れ、自分の生を、全うしよう。それだけだ。ただ、私がここに生きていることは、けっこう奇跡的なことかもしれないと思ったりする。

     兄が亡くなって、両親も相当きつかったと思うが、兄の話題が、日常生活の中で出てくることはなかったように記憶している。両親は、私の前では、兄の死を引きずるでもなく、兄を美化するでもなく、ただ、生まれてきた私と弟に、愛情を注いでくれた。両親には感謝しかない。

     相続の相談を受けていると、いろいろな家族に出会う。家族の物語は、その家族にしか分からないことがやはりある。私もそれを一生懸命理解しようとするが、力不足で、相談者を失望させることだってある。だけど、努めて分かろうとする。その気持ちだけは忘れないようにしたい。(山下)

  • 写し鏡

    写し鏡

     「何事も人々がしてほしいと思う通りのことを他の人にもそのようにせよ」。人の悩みの90%は人間関係に起因する悩みであるという。(10%は病気と貧困である。)

     私だって常に人間関係は悩みの種だ。相手がなんでも許せる、目に入れても痛くない自分の子どもですらそう思う。しかし、人は人と生きている。人と生きていかなければいけない。ならば人に好かれた方がいいに決まっている。好かれれば毎日が楽しい。好かれれば協力してもらえる。好かれれば与えてもらえる。

     しかし、好かれることは難しい。なぜ私たちは好きな人と好きではない人、嫌いな人がいるのだろうか。しかも自分が嫌いな人がすべての人から嫌われているかというとそうではない。その人を好きな人もいる。好きか嫌いかはその人が決めている。その人が嫌いなその人を作っているといえる。なぜ好きか?あなたのしてほしいことをしてくれるからである。なぜ嫌いか? あなたのしてほしくないことをされるからである。

     相手が喜んでくれることをしてあげれば人は好かれる。ということである。じゃあやればいいじゃないかと思うが。行動するのは難しい。

     それから好きになるのが先か? 好かれるのが先か?という問題がある。相手が先に自分の好きなことをしてくれれば好きになれる。しかし、そんなことをお互いに待っていては、歩み寄ることがないのだから時間の無駄である。好きになるのが先である。好きになるから、好きになってもらえる。「〜するから〜される」。人は写し鏡だ。

     他責と自責という言葉がある。他責とは相手が悪い、相手が変わってくれたら私はこんな思いをせずに済む、というような思い込みである。相手が変わってくれるまで私は幸せにはなれないという最悪な考え方である。反対に自責とは、周りがどんな状況にあろうとも、私は私が気分が良くなる考え方や行動を選択する。という考えである。全ては私が選択できる。だから私は幸せである。

     遺産分割の争いは人間関係の問題である。決してお金の問題ではない。(宮村和)