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  • 「人生会議」してますか?

    「人生会議」してますか?

     世の中いろんな会議があるが、「人生会議」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 人生の? 会議? この会議のテーマは、平たく言うと、「命にかかわる大きな病気やケガをしたときに、どんな治療を受けたいか」である。それを考える会議を、本人やその家族、身の回りの人などと行うのである。

     では、なぜ、「人生会議」が必要なのか? 例えば、脳梗塞などで急に倒れ、意識を失ってしまったとき、もし「延命治療をするか否か」という決断をしなければならないほど重篤な容体であったなら、その意思表示を本人はすることができない。となれば、そんな命にかかわる判断を、家族や身の回りの人がしなくてはならなくなる。「本人が意思表示ができなくなったときのことを考える」というのが、この人生会議の肝である。

     私の父が亡くなる前2年間ほど認知症で、意思表示ができなくなっていた。体も衰え、そのうち、口からの食事が難しくなった。その際、本人は意思表示ができないため、担当医師が、私の母に対して「胃ろうしますか? しませんか?」と尋ねた。母は「夫はきっと『しなくていい』と言うと思います。だから胃ろうは、しません」と答えた。

     そして、父が亡くなった。その際、母は泣きながら、私に言った。「あのとき胃ろうしていたなら、(父は)もう少し長生きしたんじゃないか?」。母は、自分を責めた。

     人生会議ができていれば、つまり、父が元気なうちに、「おれは胃ろうなどの延命治療をしなくていい」と家族に伝えていれば、母は苦しまずにすんだはず。人生会議は、そうなってしまってからでは、できない。少しでも早めに、元気なうちに、自分にとって大切な人に、自分の考えや希望を伝えておいてほしいと思う。

     この人生会議の普及を目的に、あかりテラスの事務所がある地域で活動する医師や看護師、地域包括支援センター、薬剤師、ケアマネジャー、障がい者支援団体などで、ACPデザインネットワークというグループ(写真)を作っている。新年度から、このメンバーが講師となって、人生会議を分かりやすく紹介する出前講座を行う取り組みを始めた。地域の公民館や事業所などに無料で出張するので、ぜひ声をかけてほしい。(山下)

     

  • 最後の晩餐

    最後の晩餐

     「『最後の晩餐』は何がいいですか?」。講座の冒頭、こんな質問から始めることがある。参加者らは、いきなりの「縁起でもない」質問に戸惑っている。そして、私は一人一人に聞いて回る。

     「トロの握り!」。最後はぜいたくな食事をしたいという。別の人は「塩むすび」。昔母親が握ってくれた塩むすびの味が忘れられないそうだ。「最後は飯はいらん。焼酎を一杯」。大好きなお酒を飲んで締めくくりたい男性もいた。

     この質問の意図は、会場の緊張をほぐすこと、そして、もう一つ。この「最後の晩餐」の願いを、本当に実現しようと思ったら、だれかに伝えておかなければならない。そのことを知っておいてほしいということ。あくまで「最後の晩餐」は、自身の願い、希望の象徴。人生の晩年、自分のことが自分でできなくなったとき、何か叶えたい願いや希望があるならば、身近な人に話したり、紙に書いて残しておかないと、それは実現しない。最後の最後まで、他人任せではない、自分の人生を生ききるために。

     できれば、自分が重い病気にかかったとき、たとえば「延命治療をしてほしい、あるいは、しないでほしい」といった、命に関わる重大な決断についても、自分の意思として家族や周りの人に伝えておきたい。これを伝えておかないと、自身が意思表示できなくなったときに、家族を苦しめることになる。

     ちなみに、私の最後の晩餐は、「おもち」。毎年末にもちつきをして、正月にお雑煮やぜんざいにして食べるのが至高。「もちをのどに詰まらせて死ぬのが希望」というのは、半分冗談、半分本気。(山下)