最後の晩餐

 「『最後の晩餐』は何がいいですか?」。講座の冒頭、こんな質問から始めることがある。参加者らは、いきなりの「縁起でもない」質問に戸惑っている。そして、私は一人一人に聞いて回る。

 「トロの握り!」。最後はぜいたくな食事をしたいという。別の人は「塩むすび」。昔母親が握ってくれた塩むすびの味が忘れられないそうだ。「最後は飯はいらん。焼酎を一杯」。大好きなお酒を飲んで締めくくりたい男性もいた。

 この質問の意図は、会場の緊張をほぐすこと、そして、もう一つ。この「最後の晩餐」の願いを、本当に実現しようと思ったら、だれかに伝えておかなければならない。そのことを知っておいてほしいということ。あくまで「最後の晩餐」は、自身の願い、希望の象徴。人生の晩年、自分のことが自分でできなくなったとき、何か叶えたい願いや希望があるならば、身近な人に話したり、紙に書いて残しておかないと、それは実現しない。最後の最後まで、他人任せではない、自分の人生を生ききるために。

 できれば、自分が重い病気にかかったとき、たとえば「延命治療をしてほしい、あるいは、しないでほしい」といった、命に関わる重大な決断についても、自分の意思として家族や周りの人に伝えておきたい。これを伝えておかないと、自身が意思表示できなくなったときに、家族を苦しめることになる。

 ちなみに、私の最後の晩餐は、「おもち」。毎年末にもちつきをして、正月にお雑煮やぜんざいにして食べるのが至高。「もちをのどに詰まらせて死ぬのが希望」というのは、半分冗談、半分本気。(山下)