子どもの手伝い

 家族は共同生活である。手伝いというが、一緒に生活しているのだから、家事を手伝うのは当たり前ではないか。なんて親になっては思うが、子どもの頃は考えたこともないし、親がしてくれることに甘えていた。むしろ家事を手伝うことは自分の時間を削り、自分の労力を提供しているのだから「ありがとう」と言われることは当たり前であったように思う。手伝ってあげていたような感覚だった。

 しかし、そんな感覚は親の愛を受けていたし、甘やかされていただけかもしれない。

 その分だけ、親への感謝に気付くことに遅れた気がする。皆それぞれ親に感謝するタイミングが来ると思うが、私の場合は、親元離れた19歳の時だった。家の借金を返すためと思い、埼玉県に働きに出たが、ご飯を作ることも、洗濯することも自分でしなくてはいけなくなった。むしろ家の借金を返すために働きに出たのだから、一人暮らしを経験してもなお、家事についてはまだ、自分がしてあげているという感覚が抜けなかった。

 しかしながら、生活は毎日のことである。洗濯しなければ服はないし、飯は毎日食わなければいけない。外に飯を食いにいけばいいと思ったが、自分で払う金は、本当にこれがこんなに値段がするのかと感じたし、自分で作ればもっと安いのにもったいないと思った。パチンコに行って大負けして、親に金を送ってくれとお願いしたこともある。家を支えるためが、むしろ金をせびることもあった。

 子どもには手伝いをさせるべきだと思っている。本当はゲームやYouTubeを見たいのだろうが、声をかけると嫌々ながら手伝ってくれる。手伝いとは手伝ってもらう方が使う言葉と思う。手伝う方が使ったらおかしい。してあげていると思う方がおかしい。

 人の気持ちがわかる、人の気持ちになれる子どもたちに育てたい。(宮村和)