カテゴリー: 相続相談の現場から

  • 金を売るか否か

    金を売るか否か

     最近、金の値上がりが話題になっている。先日の相談者は、金の塊を所有していて、このまま持っておいた方がいいのか、それとも、売却した方がいいのか、という点について悩んでいた。

     詳しく聞くと、その金は、数十年前に、1グラム数千円の時代に購入したそうだ。最近、1グラム3万円を超えた、なんていう報道もあったので、利益はかなり出ている。一方、もし売却したら、税金もだいぶかかりそうだ。相談者は、せっかくの資産を、家族のために有効に活かしたいと言っていた。

     詳しくは税理士さんの業務範囲になるが、一般的な話として、金を売却すると譲渡所得税がかかり、その売れたお金を家族に渡すと贈与税、亡くなられたときには相続税という、いろんな税金があることを説明した。

     相談者も、自身で税金のことを調べていて、売却するにしろ、金そのものを家族に引き継ぐにしろ、メリットやデメリットがあることを承知の様子。最後には「自分一人で考えるには限界がある。話を聞いてもらって、状況が整理できた」と喜んでいた。

     そして、財産の承継については、税金の観点だけでなく、家族が後々もめないように渡す「分配」の観点も忘れずに、と付け加えた。そのことにもとても共感してくれて、公証役場で遺言書を作ることをお勧めした。近々連絡すると言っていた。「自分自身がまだ気が付いていない課題に気が付くこと」。これが相談の目的だ。(山下)

  • 「1点もの」の時代

    「1点もの」の時代

     クラシックバイクの査定額が、700万円! 相談者の財産目録を見て驚いた。曰く「こだわりの『1点もの』の車やバイクは、世界中で高値で取引されている」という。

     私も仕事柄、亡くなった方の「遺品整理」の手伝いをすることがある。その時、故人が大切にしていた「お宝」の話がよく出てくる。絵画、掛け軸、陶磁器、家具、ブランド品、着物、家電などなど。「高価買取」のチラシも最近よく目にするし、家族からすると、「売却すれば、そこそこの値がつくのでは」と期待するが、大抵の場合、二束三文であることが多い。最悪「ゴミ扱い」されることもあり、「お宝」の処分の難しさを日々実感している。

     一転、クラシックバイクは、話が違うらしい。愛好者が集うイベントは、日本中あちこちで開催され、自慢のバイクを披露し合っているという。また、やむなくバイクを売る場合も、専門のオークションサイトがあって、世界中から買い手が集まるようだ。

     相談者のバイクも、アメリカからの輸入品。それに、自分好みのパーツをつけたり、チューニングをしたりして、こだわりの「1点もの」に仕上げる。ただ、そのバイクは日々乗り回すわけでなく、毎日車庫でエンジンをかけて、「音」と「ビジュアル」を楽しむとのこと。乗るのは、イベントの時だけ。しかも、会場まで車でバイクを運ぶそうだ。何となく気持ちは分かる。

     フェアレディZ、GT- Rなど、販売終了した日本の旧車も、いま世界中で人気があるそうだ。かつての大量生産の時代から、他にはない、替えが効かない、「1点もの」の時代が、確実にやって来ている。好きなもの(こと)をどれだけ尖らせられるか。人間の生き方にも通じる話だ。(山下)

  • 最後の晩餐

    最後の晩餐

     「『最後の晩餐』は何がいいですか?」。講座の冒頭、こんな質問から始めることがある。参加者らは、いきなりの「縁起でもない」質問に戸惑っている。そして、私は一人一人に聞いて回る。

     「トロの握り!」。最後はぜいたくな食事をしたいという。別の人は「塩むすび」。昔母親が握ってくれた塩むすびの味が忘れられないそうだ。「最後は飯はいらん。焼酎を一杯」。大好きなお酒を飲んで締めくくりたい男性もいた。

     この質問の意図は、会場の緊張をほぐすこと、そして、もう一つ。この「最後の晩餐」の願いを、本当に実現しようと思ったら、だれかに伝えておかなければならない。そのことを知っておいてほしいということ。あくまで「最後の晩餐」は、自身の願い、希望の象徴。人生の晩年、自分のことが自分でできなくなったとき、何か叶えたい願いや希望があるならば、身近な人に話したり、紙に書いて残しておかないと、それは実現しない。最後の最後まで、他人任せではない、自分の人生を生ききるために。

     できれば、自分が重い病気にかかったとき、たとえば「延命治療をしてほしい、あるいは、しないでほしい」といった、命に関わる重大な決断についても、自分の意思として家族や周りの人に伝えておきたい。これを伝えておかないと、自身が意思表示できなくなったときに、家族を苦しめることになる。

     ちなみに、私の最後の晩餐は、「おもち」。毎年末にもちつきをして、正月にお雑煮やぜんざいにして食べるのが至高。「もちをのどに詰まらせて死ぬのが希望」というのは、半分冗談、半分本気。(山下)